忍者ブログ
アニメの魅力について語る
[21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今の私はアニオタを自認している。その前はHIPHOPに中毒していて、将来ラッパーになりたいとか思っていた。いろいろイタい奴だったと思う。しかし今考えるに、自分は変わっていないかもしれない。まず、自分は○○が好きだと公言する事に、意味があるのだろうか。私は幼い頃からアニメを観て育ってきた。その事を根拠に私はアニメに詳しいと自負している。しかし当時の私がアニメが好きだから、それを観ていると考えていたのだろうか。規模の差こそあれ、ラップにしろアニメにしろ日常的に接するコンテンツだ。ラップに関しては、自分はラップ好きだという認識があった。今はそういった認識がアニメに向いているのではと思う。それが危険なのかもしれない。
 私がラップからアニメに乗り換えた理由は幾つかあり、1つは私が詩(リリックという)を考えたりリズムに乗るという、ラップの才能が無い事を思い知らされて意気消沈し、その時自分には何の才能があるかと考え幼い頃から描いていた漫画を思い立った事。その時初めて、漫画を描くのを日課としている自分の行為が特殊である事に気付いた。これは何を意味するかというと、つまりラップより漫画やアニメという趣味の方が私に向いているのではないかという事だ。
 もう1つ言えるのは、両者の規模の違い。私は日本のラップが好きだった。しかしいささか規模が小さい。ものの好みは最終的には主観論になるけれど、主観を疑い無いものにするには世の中の評価も気になるものだ。その点日本の漫画やアニメは世界トップという事が明確だから、主観を疑い煩悶する余地も無い。それと、やはりいくらカッコつけて立派な事を言っても、それが商業的である限り、キレイ事にしか映らない。特に日本のラップに見られる他の音楽性やアーティストに対する攻撃は、自分が売れたさみたいなのを感じて、無意味に思えた。一方の漫画やアニメは皆さんが知っての通り映画的な作家性を切り捨て、エンタテイメントに徹する事から成長したジャンルであり、作家個人へと帰属するもの無しに成り立つ。また送り手も受け手も虐げられてきた事はよく知られ、文字通り全てを捨てる覚悟を必要とする。ラップでは百人百様の意見が、漫画やアニメにおいては才能や技術の差が明確であり、対価はそれらに支払われる。ジブリ作品は明確に商業主義的だが、文句を言う人はいない。あとアニメは所謂文化とか芸術とかと違って、ワケの分からないものを作っても売れない。もちろんアニメにもキャラものと呼ばれるような娯楽作から文化事業のような作品までいろいろある。その両者が世界的な人気を得ている事は、いずれにも優れた表現力や演出力、ストーリー性が見られる結果だろう。
 しかし最近思っている事は、こういった自分の言動自体が危ういものではないのかという事だ。ラップに中毒していた時も、私は攻撃性をもって良し悪しを判断して、分かったつもりになっていた。漫画・アニメ好きに転向してからも、長年アニメを観続けてきた立場からは最近の萌えアニメは腐っていると思っている。しかしそれもアニメの進む道であり、オタクの片隅にいる私ごときが漫画やアニメ全体をどうこう言ってもしょうがないのかもしれない。何が好きで何が嫌いだと線引きする事自体が無意味なのかもしれない。そういうこだわりは本来無かったもので、萌えなら萌えをやりつつも自分の見方なり考え方をぶつける、それもだめなら排他的になる事無く上手く折り合いをつけて自分の方法を模索するという手段を取る事が一番妥当なのかもしれない。
PR
人間は欲深い生き物だ。欲をコントロールする事こそが、人間に与えられた条件だ。ところが私には節度とかいったものがまるで無い。つまり、のめり込むタイプだ。うまく折り合いをつけるといった器用な生き方は向かない。眠気に駆られたら、もうトコトン眠る事しか考えられない。少しくらいいいだろ、と思ったらもうアウトだ。気がつくと電気が点いたまま。時計は2時をまわっている。いつ、どの瞬間私は間違ったのだろう。考えても分からない。睡眠状態へは連続的に推移していく、しかしアキレスと亀のパラドクスの如く、覚醒との境界を設定する事は困難だ。最近はパソコンをつけたまま眠ってしまうようになった。勝手に消えて欲しくてもスクリプトが動いていたりするためにしっかりそのまま。せっかくHかつ刺激的な夢を見ていても、いいところで気付いたりしてノートを閉じているのだ。昨日なんてメガネもかけたままだった。パソコンを開いてみているのがアダルトサイトじゃなければ、はた目には寝る寸前まで電子機器を駆使し作業を行っていた、真面目な人に見えるに違いない。人間がさらに己が欲求を満たすためには、睡眠の意思を尊重し、自在化するようなプロセスもまた実現されるべきだ。部屋の主が睡眠状態に突入すると、部屋が睡眠モードに移行するようなシステムが。その際意識と知覚の境界問題は超える必要がある。それと、メガネは自分で外さなければならない。
にわかオタの諸君、元気ですか。話題作りのために、アニメのチェックに余念が無い毎日ご苦労様です。せいぜいキャラ萌えでもして楽しんでいて下さい。違法な動画アップロードサイト観て分かったつもりになるのもいいでしょう。本当のオタクのビジョンに足を突っ込むのなら、当ブログが多少の手助けになる事があるかもしれない。何となく周りに合わせなくても、自然とオタ属性が身に付くだろう。

 アニメをリアルタイム、時系列的な側面から観ると、そこにはオタの全人生を飲み込むような"はじめて"の衝撃がある。アニメは本来クリエイティヴな、クリエイター本位の現象だ。アニメーションはこの"はじめて"を繰り返す事で進歩した。

 以下に私が知る限りの"はじめて"をピックアップした。
 <ロボットアニメの"はじめて">
 なよっちい主人公、アムロ・レイ・・・昔はロボットアニメの主人公と言えば、熱血漢のヒーロー像が当たり前のものだった。しかし機動戦士ガンダムにおいては、物語の展開とともに主人公が成長するという、人間ドラマを取り入れる事に成功した。アムロ・レイという主人公には、ストーリー展開を、ひいては物語自体を牽引するヒロイズムが備わっていない。それでも劇中を通してアムロは成長し、ニュータイプと呼ばれるような活躍を見せている。しかし巨大ロボットアニメ時代のヒロイズムは捨象され、エヴァのシンジ、機動戦艦ナデシコのテンカワアキトなどに至っては殆どと言っていい程成長を見せず、少なくともその事が物語の仕掛け上、見せ場として機能する事が無くなった。そのヒーロー不在の現象はガンダムをきっかけにしたヒロイズムの後退を源流として、エゴイズムの否定による、投影された自我の物語(ハーレム的ヒロイック)世界への埋没という説明も加わる(その根拠は、世紀末における近未来への期待イメージの汎化である)。アムロ・レイの性格設定がリアリズムなら、世相との相互作用を受けながらそれを方法論的に進歩させたエヴァのシンジは、キャラクタ自体が物語という虚構を生み出すシステムに包摂されている点から、存在のリアリズム(エゴイズム)をも失って、より対象化されていると言える(つまり自我=物語世界に干渉する権利を持たされていない。エヴァは観てないからよく分からないけどな。何故そう考えるかというと、男が黒で塗りつぶされた影でしか描かれていない、セリフも無いつまりどうでもいいというエロゲーと、主人公が女性キャラの身体や情操を支配的にコントロールし、物語世界の展開にも破壊的に介入する、エゴを極大化したギャルゲーとが対置される現実から。美少女ゲーム自体に、恋愛欲求の充足から対象を貶め、自己イメージを正当化するオナニー活動へのエスカレートも指摘される。最近は新しいものを生み出すというよりは、やってはいけない事をどんどん解禁する事で刺激を得ている状態ですね。)。

 <美少女アニメの"はじめて">
 今じゃ美少女が戦うアニメというのは当たり前ですが、80年代後半くらいまでは無かったものだ。それ以前はというと、少女達が血と汗を流してがんばるというスポ根モノのアタックNO,1や、多分女性キャラも登場したヤマトや富野アニメにおいては戦う女性の描写も見られた。しかし作品自体が女性視点から描かれる事は無かった。現在においてジャンル化した美少女アニメが一気に流行り出したのは、美少女戦士セーラームーンが登場してからだ。そしてこの作品が最もメジャーだろう。魔物ハンター妖子も、この美少女アニメというジャンルになる作品だと思われる。魔物ハンター妖子とセーラームーンは似ている(これは母親の発言。目から鱗)。そして魔物ハンターの方が古い作品なのだ。製作はマッドハウス。ちなみに私はファンです。

 <超能力アニメの"はじめて">
 ドラゴンボールZという気のエネルギーを描写した作品は、もはや国民的な知名度を持つと言える。同じく幽遊白書は、今も熱烈なファンが多い。私は幽白派。この作品にも、霊力という視覚的なエネルギーが作品を通して大きな魅力になっている。そしてこの"気"の描写を初めて行ったのも、日本のアニメだと言う話をどこかで聞いたのだった。その作品とは、私の好きな幻魔大戦という劇場作品。今となってはとてもポピュラーな、超能力系の作品において必須とも言えるような描写が、幻魔大戦から生まれたとするなら、恐らく東丈がベガに追い詰められ、初めて念動力を発揮するシーンがそれに当たるはず。その発想はさらに、中世やそれ以前の仏教彫刻に見られる後光の視覚化に元を辿る事が出来るだろう。

 <ミサイル乱れ撃ちの"はじめて">
 これは知ってる人も多いと思います。私はガンダム派だからマクロスに関してはもっと詳しい人がいる事でしょう。"板野サーカス"生みの親である板野一郎さんによると、ロケット花火で遊んでいた時に思いついたそうだ。マクロスプラスが一番完成度高いと思います。最近最初のマクロスも観ました。荒削りですがエネルギーを感じて映像として興味深かった。真似して描いてみようかと思ったけれど、アングルの撮り方とかスピードの付け方とか、難し過ぎて不可能でした。発想力にはなおさら脱帽。
 確か親のパソコンを夜中にこっそり起きて使い、エロCGやエロアニメを物色していた頃か、高校受験を終え、少し先にヒマになった2001年2月22日、家にVAIOが届き、暫くたって窓伝いに有線を繋いで自室でネットを始めた頃だっただろうか。LUV WAVEを観た記憶がある。美麗な絵が魅力的であったし、何より私に強く印象付けたのは近未来の都市の描写だ。その頃ネットというツールを得て観たそれはあまりにも眩しかった。主人公のニヒルな男が車を走らせ、トンネルを抜けた所で広大な、果てない都市の風景が(横スクロールで)飛び込んでくる。勿論長らく憧れていたこの作品を後に観る機会があったのだが、そのようなシーンは無かった。私の中でイメージが増幅され、決してただその映像を観ただけでは得られないような作品の持つ概念のようなものを、得たのだと思う。
 私が素晴らしいと思ったのは第一話で、くノ一姉妹の姉の亜衣が、チ○コみたいな卑猥な頭をした卑猥そうな妖怪の胸から飛び出した赤い触手に体をとらわれ、胸や股に触手の先をグリグリとこすりつけられるシーンだ。まさかこのクオリティーでここまでやるとは想像出来なかった。大体当時は触手とかのハードプレイの対象となるのは年増の慣れたカンジの女性が主で、美少女漫画に出てきそうなタッチのキャラが犯されるとは、ストーリー展開の常識から言っても、考えられない事だった。私はその嘘かまことか分からないアニメを確認したいという思いのために、当時のまだ十分では無かったインターネット環境を使い、大して堪能出来ないうちに、ダイヤルQ2に接続したとかいって後で何万円か払わされるハメになってしまった。それは高校受験前の事で、親にも相当怒られた。コンビニに金を払いに行った時の記憶もある。中学校の帰り道にあるのだが、コンビニ自体に入ったのが半年ぶりぐらいだった。その頃ビジュアル系とか美形タレントが全盛で、自分の容姿が恥ずかしくてコンビニに入れなかった。だから金を払いに行くのも相当な覚悟を必要とした。その時のコンビニ内の様子とかも覚えている。入り口には掃除機が置いてあって、若い男女の店員がいました。多分。メガネ外して行ったので顔はよく覚えていない。何かコンビニ店員がカッコよく見えて憧れてた気がする。ジャージとかのラフな服装にも。親は女子高生の変なサイトを見ていたと思ったらしく助かった。見ねーよそんなもん。
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
コウタ
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/17
職業:
??
趣味:
漫画、アニメ
自己紹介:
 ―おことわり―
 管理人は子供の頃満足にアニメや漫画といったコンテンツを楽しめなかったために、その時期(8~90年代)の作品に憧れている
 管理人は7歳から趣味で漫画を描いており、作り手の視点から観たアニメへの想いであること
 一番知識のある分野はガンダムです。SFの特に霊や超能力を扱う作品も好きです。サイバーパンクもわりと詳しい。
 エロ大好きです。
 
 
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]
【 ♥ イラスト提供:Night on the Planet ♥ 】 Template:hanamaru.